浅井微芳
(書家・書道教師)
経歴概略
1956年、書の盛んな愛知県春日井市に生まれ、4歳より筆を持つ。
地元の書道教室に学び、多数の書道展やコンクールで受賞するが、「賞」や「段・級」が実力の真価ではないことに気づき、1994年より独自で書の道を歩む。
書道塾「優美舎」を設立、競書をしない独自の指導法「優美メソッド」は素晴らしい成果を出し、多くの人の支持を得る。近年、県外にも出向き指導者育成に尽力している。作品は多岐にわたり、額、掛け軸、陶磁器、ファッション、インテリアまで制作する。
2001年より書と音楽とのコラボレーションに取り組み2007年には独自のパフォーマンス「筆舞®」として商標登録をする。
「筆舞®」は2008年にNY/マンハッタンで公演。2015年にパリ/JAPAN・EXPOに参加。同年、ポーランド映画界の巨匠:アンジェイ・ワイダ監督の招聘を受け、各国大使、総領事を招く日本美術技術博物館第21周年記念祭で4演目を公演する。
言葉も文字も、文化も異なる国の舞台に立ち、終演後に多くの方から受けた賛辞が自信となる。なかでも、どんな暗闇のなかでも必ず朝日は昇る…… “希望” をテーマとする筆舞®『黎明』は、浅井微芳の代表作となっている。
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指導者としての経歴
書道塾を立ち上げるまで
私は4歳の頃から、生まれ育った愛知県春日井市内で近所の書道塾に通い始めました。
平安時代の書家:小野道風の出身の町とされる春日井市は「書の町」として知られており、書道のコンクールが頻繁に開催されていました。
毎回、学校の代表選手に選ばれていたため、学校で練習した後さらに書道塾でも特訓を受ける日々が続いていました。
そして、様々な大会で受賞を重ねていきました。
ただ、そのときから「大会で賞をとる字と、自分の思う綺麗な字とは何か違う」という違和感を抱いていました。
小学校3年生のときに大きな書道界に入会し、大学生になってからは本格的に書道の修行を積み始めました。
様々な展覧会やコンクールに参加しましたが、やがて当時の書道会のあり方に疑問を感じ、脱会することを決断しました。
その後結婚して授かった娘が4歳になり、書道を習わせたいと思ったのですが、なかなかいい教室が見つかりません。
「それならば私が教えてみよう」と思い立ち、娘と娘の友達を名古屋市の自宅で教えるようになりました。
優美舎の変遷
自宅で子どもたちに書道を教えていると、同じ幼児園の友達など口コミで生徒が徐々に増えていきました。
さらにはその生徒のお母様が入会するなど大人も通う書道塾となっていき、生徒数がさらに増えていきました。
当時は、書道塾の名前を「筆で遊ぶ書道塾 優美舎」としていました。
それというのも、当時の生徒は小学生の子どもが多かったため、すぐに集中力が途切れてしまう彼らのために「お遊びの時間」を設けていたのでした。
その「お遊びの時間」というのは、子どもが基礎となる稽古を受け終わり、最後に「好きなように文字を書く」時間のことです。
その「お遊びの時間」は子どもたち本人にも大人にも好評で、のちにはそのお遊びでできた書を作品展で飾るという、優美舎の定番の行事となっていきました。
本格的に書道塾の看板を出し始めた1997年当時、まだデザイン書やアート書道などは珍しく、様々なメディアから取材を受けるようになりました。
そのお遊びの書を「アート書」と名付けるようになってからは、さらに入塾希望の問い合わせが増えるようになりました。
「アート書」が習える書道塾として知られるようになっていった優美舎でしたが、普段の稽古は楷書、行書、草書など基礎となる書体や硬筆(ペン字)を上手に書くための指導を大事にしていました。
アート書はあくまでも、基礎の段階を終えてから最後の1枚として書くものだったのです。
しかし、優美舎は「アート書」だけを教える書道塾としての認識が強くなり、どこか自分の理想とする書道塾とはかけ離れていってしまうような気がしました。
「書道塾 優美舎」へ
2000年代に入ると、世の中でアート書道がどんどん広まっていきます。
それまで優美舎も「筆で遊ぶ」というキャッチフレーズを前面に押し出し、「アート書」が習える書道塾ということで知られていました。
しかし、「アート」を教える書道塾という認識ができてしまうと、「アート書」だけを習いたい、基礎はどうでもいいという声も出てきてしまうようになります。
確かに書道でアートをするのは楽しいものですが、書道の基礎をしっかりと学んでいないと、どうしても行きづまってしまいます。
私は自分が本当に理想とする書道塾はどんな塾なのか、見つめ直し始めました。
様々な世代の方を指導する経験が増えていく中で、指導した塾生たちの字の上達は目に見えてわかるようになっていました。
いろいろと模索した結果、「本当の意味での上達ができる書道塾」が私の理想だと気づきました。
長年の準備を経て、2009年に「筆で遊ぶ」という言葉をなくし、「書道塾 優美舎」と名を改めます。
同時に指導法や稽古システムを一新して、再スタートしました。
どうすれば塾生が書道の上達に集中できるかということを最優先に考え、道具はすべてレンタル制にし、優美舎に来れば質のいい道具を使って稽古ができるようにしました。
そして、独自の指導法や検定制度を整え、「自信を持って教えることのできる指導者の育成」を念頭に置くようになりました。
現在では、指導者を目指す塾生たちが全国から通えるよう宿泊環境も整えるなど、さらに改革を続けています。
指導者としての想い
長年、書道教師として指導をしていてわかってきたことは、文字は書いた人の性格や人格を表すということです。
添削するだけで、塾生のその日の体調や気分まで当てられてしまうので、よく塾生には驚かれます。
私自身、平穏で誠実な線を出せるように心がけています。心が曇っているときには筆を持てませんし、筆を持つ前には平穏でいられるように努めています。
私が優美舎で指導しているうえで徹底していることは、「競書をしないこと」です。
人に勝つためではなく、人を幸せにするために美しい文字を書くことを心がけるように、徹底しているのです。
その「人を幸せにするために」という想いは、必ず文字にも表れます。
そして人を幸せにするために技を磨くことが、よりよい社会を作ることにもつながっていくのではないでしょうか。
塾生たちが次第にそのことに気づき、それぞれが指導者となって自己を磨き、一つの道を極めていくことの素晴らしさを伝えていけたら、書道で世界平和に貢献できるのではないかと思っています。
書家としての経歴
アート書を生み出したきっかけ
優美舎では、生徒が基礎を練習し終わったあとに、1枚だけ好きなように自由に筆を使って書いていいという「お遊び」の時間を設けていました。
この「お遊び」は子どもにとってはもちろんのこと、大人にも好評でした。
最後にお遊びをすると、「お手本通りに書かなくてはいけない」というプレッシャーから解放され、のびのびと書くことができたのが好評だった理由なのでしょう。
書道塾を開いてしばらく経つと、特に生徒のご両親たちから、「作品展を開いてほしい」という要望が出てきました。
私自身も、作品展の開催を決めれば、生徒たちにとっても切磋琢磨できる良い機会になるのではと考えました。
ただ私自身、一般的な書道界の作品展でよく見受けられる「お手本を見て書いて受賞を狙う」という目的に違和感を抱いていたので、優美舎の作品展では、代わりにこの「お遊び」の書を展示しようと考えました。
生徒一人一人が書きたいと思う言葉を選び、それを芸術作品として見せるために練習を重ねていき、額装もそれに合わせて好きなものを選ぶという流れです。
このようにしてできたお遊びの作品なら、それぞれの生徒の個性が出せて、競い合うことなくそれぞれの違いを認め合えますし、見る人たちにとっても楽しめるものになると思ったのです。
初めての作品展を開催するにあたって、近所のギャラリーを借り、DMハガキを作って宣伝することにしました。
お遊びの書でできた作品展なので、そのテーマを「遊」と決めていました。
それに合わせ、私は思い切り遊ぶ子どもたちをイメージして「遊」という文字を書き、それをDMハガキに大きく載せました。
この「第一回優美舎作品展」は大好評でした。DMハガキに書いた「遊」の文字の評判もとても良く、ハガキを何枚も持ち帰りたいという方も多くいらっしゃいました。
その持ち帰ったハガキの「遊」の文字を切り取り、額に入れて飾ったと報告してくださる方がいらっしゃったときは、とても嬉しい気持ちになりました。
最初の作品展を開催した1998年当時は、まだデザイン書やアート書というものは珍しく、「こんな書道のスタイルは初めて」と多くの方に感動していただけたのです。
第一回作品展を終えた後から、「DMの『遊』以外にも、先生の作品をもっと見たい」「額や掛け軸の作品を売っていたらぜひ購入したい」というリクエストをたくさんいただくようになりました。
こうして、私は指導者としてだけでなく、書家として、本格的に作品を作っていくこととなります。
また書道塾の広告にも、普通の書体だけでなくお遊びの書体もカリキュラムに含むということをアピールするようになりました。
その際、何かお遊びの書体にふさわしい名前をつけようと考えた結果、「アート書」と名付けることとなりました。
アート書の作品制作を進める
お遊びの書を「アート書」と名付け、「筆で遊ぶ書道塾 優美舎」という看板を掲げて広告を出すようになると、徐々にマスコミの取材依頼が入るようになりました。
おそらく、当時は「アート書」というものがとても珍しく、「筆で遊ぶ」とは一体どういうことなのだろうと関心を持っていただけたのでしょう。
様々なテレビ番組やラジオ番組、雑誌などに「アート書」を学べる書道塾として取り上げられ、優美舎の生徒数はみるみるうちに増えていきました。
そんな中、あるテレビ番組に出演したことがきっかけとなり、日本料理店をオープンしようとしているオーナーから「お店のロゴ製作」の依頼を受けました。
そのオーナーの新しいお店へのこだわりはとても強く、書道の大家10名ほどにロゴ製作をお願いしてみたけど、なかなか理想通りのロゴが見つからないとのことでした。
私がアート書でロゴを書くと、ありがたいことにとてもお気に召してくださり、採用していただきました。
この他にも、「新居に飾る額作品を作ってほしい」「お祝いにプレゼントする作品がほしい」など、作品製作の依頼を次々と受けるようになっていきました。
また第一回優美舎作品展の題字の評判が良かったこともあり、「季節ごとに違った作品が見たい」とのご要望も増えていました。
こうした流れで、2000年に個人のギャラリーをオープンすることになりました。
そしてそのギャラリーに、私の最初のアート書作品のテーマでもある「遊」という名前をつけました。
音楽と書のコラボレーションを始める
ギャラリーを立ち上げて以降、私はアート書作品を毎日書くようになりました。
作品を創るときや書道を教えるときは、常にショパンのピアノ曲を流すようにしていました。
もともとクラシックが好きで、お稽古中にいろいろな種類のクラシック音楽をかけてみたのですが、筆を動かすリズムと一番合うのがショパンの音楽だったのです。
生徒たちからも「ショパンの音楽がかかっていると書道に集中できる」という声が多く上がりました。私自身も書家として作品を創る際、ショパンの音楽があると一段といい作品ができあがるのです。
ある日、私がショパンをBGMに作品を書いているところを見た一人の生徒が、「先生の筆の動きとピアノのリズムがぴったりと合っている」と驚きながら言いました。
そして「先生がショパンを流しながら書いているところをたくさんの人たちにぜひ見てほしい」と言い始めたのです。
その生徒もショパンの音楽をピアノで弾くことが趣味で、個人でもリサイタルをしているほどの実力でした。
そこで、ギャラリー「遊」にて、彼の弾くショパンの曲に合わせてアート書を書いて見せるというコラボレーション企画をすることになりました。
2002年4月に開催したそのコラボレーションイベントのコンセプトは「書の花見」で、ギャラリーにも「桜」をテーマとした数々のアート書を展示しました。
まだ2000年代に入ったばかりの当時、書道のパフォーマンスというものは非常に珍しく、また「クラシック音楽と書道」という意外な組み合わせもお客様たちから大変好評で、「今から次回のイベントが楽しみ」というお声をたくさんいただきました。
そして、さっそく同年9月に2回目のコラボレーションイベント「書の月見」を開催します。
最初の2回のイベントではショパンのピアノ曲と合わせていましたが、それ以降は、シンセサイザー音楽やジャズなど、違うジャンルの音楽とのコラボレーションにも挑戦しました。
こうして、私は飾るための作品だけでなく、音楽に合わせながら書いているところを見せるという、「動く作品創り」にも力を入れるようになったのです。
筆舞®の創作
書家としての活動はどんどん多岐にわたるようになり、
- 額や掛け軸作品の制作
- ロゴの制作
- カーテンや壁に書を取り入れるというインテリアコーディネート
- 瀬戸物の陶芸家の作品に書を入れた陶磁器作品の制作
などに発展していきました。
それに加え、様々な音楽家とコラボレーションイベントを開催し、パフォーマンス作品も発展させていきました。
音楽とのコラボレーションイベントをしていると、書道教師としての仕事と両立させながら、音楽家との時間調整をするのがだんだん難しくなってきました。
それというのも、動く作品作りをしている中で、よりパフォーマンスの完成度を高めていきたいと考えるようになったからです。
そのためには、何度も練習をしなければいけないということに気づいたのです。
そこで、音楽と筆をぴったり一致させ、完成度の高いパフォーマンス作品を作ることに尽力しました。
2003年、一人で行うパフォーマンス作品を「筆舞®︎」と名付けました。
「筆舞®」を作り上げたことによって、「どこに行っても、どんな場所でも決まった音源さえあれば変わらない動きで筆を動かせる」ことが叶うようになったのです。
こうして2001年から始めた書道と音楽のコラボレーションは、音楽家の奏でる音楽に合わせる即興の書道パフォーマンスから、同じ音楽で、ストーリー性を持たせて、決まった動きで演じるという、バレエの演目のような書道作品と呼べるものに発展していきました。
活動するための場所も制限がなくなり、ギャラリー「遊」だけでなく愛知県全域、そしてさらには東京都でも公演を行うなど、活動の場が広がっていきました。
こうして書家としての活動を精力的に進める中、ついには2008年に初の海外進出を果たし、アメリカ・ニューヨークのマンハッタンで個展と筆舞®を開催することになりました。
2007年には、「筆舞®」を商標登録するに至ります。
今では、この「筆舞®」が自身の書家としての活動の集大成となっており、日本国内だけでなく海外でも公演を行っております。
書家としての想い
「言葉を交わさなくても心を通わせることができたなら」と常に望んでいます。
筆を持ち、墨の香に包まれるとき、「世界の全ての人が幸せになりますように」と願っています。
これからも、平和への情熱を発信できる作品を創っていきたいと思っています。